若者のトリセツ【やさしさが止まらない】⑰

『ユーメッセージ』よりも『アイメッージ』で話すことによる効果について、さまざまな機会でお話してきました。

しかし、このごろの大学の授業での様子を見ると、そもそも学生たちは『ユーメッセージ』で話しません。

ほとんど全員が初めから『アイメッセージ』で話しているのです。

それも、かなり卑屈な言い方をしています。

どうして大学生は、事例(以前のブログ参照)の場面でも、相手に謝罪を要求せず、妙に物わかりの良い人を演じているのでしょうか。

 

『相手を傷つけるのでは』という心配もあるでしょうが、それよりも『相手に嫌われて、私自身が傷つく』安が大きいのではないか

思えてなりません。。相手を思う優しさではなく、自分が傷つかないための保険である『優しさ』で、相手と接していると考えます。

どうして、ここまで周囲に対して防衛しないと、付き合うことができないのでしょうか。

 

このことについて、次の2点を考えてみました。

① 自立した個人どうしの対等な関係が築きにくい

② 自分に自信がないので、周囲の影響を受けやすい

(内容については、以前のブログをご参照ください)

 

前回からは、具体的な事例(前回のブログ参照)とともに、その解決について考えています。

第一の視点(前回のブログ参照)

Aさんの言動は、間違っていたのか?

間違っていたのならば、どのように言えば良かったのか?

第ニの視点

友人の言動をどのように考えるか?

Aさんに、友人との関係についてどのようにアドバイスするか?

ここで、Aさんとともに、私たちが考えたいことは『友だちの定義』です。

現在、小学校のスクールカウンセラーをしていますが、そこでの体験から学ぶことは多々あります。

例えば、小学校での6年間での子どもたちの変容は、驚くべきものがあります。

変な例えですが、90才のおじいちゃんと91才のおじいちゃんの違いに気づく等ということは、なかなか難しいことです。

しかしながら、小学3年生と4年生の違いは、私にもはっきりと分かりました。

そんな彼らは、『友だち』についての考えも、成長に伴いはっきりと変わっていきます。

低学年の頃は『身近にいる子=友だち』だったのが、『一緒に遊ぶ子=友だち』となり、さらには『気の合う子=友だち』と変わってい

くのです。

「なるほどなあ」と感嘆させられました。

そう考えると、Aさんの周囲の『友人』は、どんな人々でしょうか。

この場合の情報だけで考えると、『波風を立てない、嫌なことを言わない人』または『その場の空気を読んで、その雰囲気に合わせる

人』でしょうか。

少なくとも、『失いたくない、かけがえのない大切な人』ではないと考えます。

『いても構わないが、いなくても構わない人』ではないでしょうか。

そうならば、耳障りの悪いことを言われても、気にすることはないのではありませんか?

もちろん愉快なことではありませんが、『人の口に戸は立てられぬ』と言います。

「誤解されているのは不愉快」と反論することを悪いとは思いませんが、反論することはこちらのエネルギーを取られてしまいます。

ここは、スルーするのが一番かと思います。

せっかく相談してくれたAさんには不本意なことと思いますが、ここはスルーしてしまうことを、お薦めします。

 

よろしければ、ご意見をお聞かせください。

 

ハピネスでは、こうした身近な問題をもとに、参加者全員で話し合ったり、ロールプレイでスキの練習をしたりする会【コミュニケー

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