【子どもの心 若者の心 そして‥】14 褒められたくない若者たちは

このところ、「相手との関係性が深まると、何でも言える関係になる」といった思い込み(と考えます)について、考えています。

その具体例として、私の教職の授業を受講している2つのグループ「親しくないメンバーの集まり(3年生)」と、「親しいメンバーの集まり

(4年生)」を取り上げ、それぞれのグループ内での発問に対する話し合いの様子の相違点について、考えてきました。(以前のブログ参照)

 

前回、その違いについて、以下のように考えました。

彼等(どちらのグループも)は、今の若者特有の『ピカピカに磨かれたリスキーキャッチアンテナ』と、『キリキリと研ぎ澄まされた傷つきやすい心』を持っています。すから、相手を傷つけることに臆病ですが、それ以上に自分が傷つけられることを怖がります。そこで、例えば『このいじめの事例に対して、どう思う?』との私の発問に対して、「○○と考える」という自分の意見を発表はするものの、チーム内で異なる意見が出でくると、「そうだよね」と受け入れるわけですが、そこには『ここで無理して自分の意見を主張すると、みんなからどう思われるだろうか』という、いわゆる『忖度』『自己保身』がはたらいているのではないかと考えます。とりわけ、この4年間の多くの時間をともにしてきたならば、「明日も朝から一緒だから‥」等と、思っても不思議はないのかもしれません。もちろん「親しくないメンバーの集まり(3年生)」でも、そうした気持ちははたらくと思いますが、前回もお話したように、何分1週間に1回の出会いです。そんなに親しい関係を築いているわけではありません。お互いに多少のきまずさがあっても、次に会うのは1週間後です。その事実を覚えているかも分かりません。

ここに、両者の違いの根本があるのではないかと、前回考えました。

みなさん、どのように思われましたか?

実は、昨日今期の授業の準備のために、過去のPP資料を見直していたところ、過去の『皆さんの意見から』(授業後に、学生が提出する振り返

りシートの記述)に、「チーム替えがあって、今回は顔見知りのメンバーばかりだった。みんな、嬉しそうに自己紹介していたけれど、話し合い

なったら、沈黙が続いた。前のチームは知らない人ばかりだったけど、結構意見が活発だったのに‥不思議だ」という記述を発見しました。こ

れも、つのエビデンスではないかと思いました。

 

そんなことを考えていたところ、SNSで『褒められたくない若者たち』という記事を目にしました。

今までも、アドラー等は「こういう人、時は褒めない方がいい」等といったことを主張していました。

例えば、「もともと自己肯定感が低い人を褒めて、かえってプレッシャーをかけてしまうから」といった具合です。

しかし、今回は少し様子が異なるようです。

今の若者は、『褒められたくない、目立ちたくない、埋もれていたい』との考えです。

すなわち、今学校や職場で「君の仕事はいいねぇ。とても期待しているよ」等と、他の人の前で言ってほしくないということです。

みなさん、どう思われますか?

私は、大学生と関わる中で、感じることがあります。

そして、『目立ちたくない・周囲から浮きたくない』といった気持ちは、このところ取り上げてきた二つの人間関係の異なるグループ内での言動

の違いとも相通じるところがあるのではないでしょうか。

『発言して、凄いねと言われたくない』の思いの裏には、『周囲は、わたしのことをどう思うのだろう』という不安や怖れ、そして周囲を信じら

れないという不信感すらあるのではないでしょうか。

 

この視点(褒められたくない)で、さらに考えを進めていきましょう。

 

こうした身近な問題をもとに、参加者全員で話し合ったり、ロールプレイでスキの練習をしたりする会【コミュニケーションカフェ】を開いて

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リアルでもOnlineでも開催しています。

詳しくは、このHPのトピックスをご覧ください。