同調圧力

先週土曜日の朝刊1面の下部に、(同調圧力ー鴻上尚史・佐藤直樹著)の案内が載っていました。また、少し前に(同調圧力ー前川喜平、望月衣塑子、マーティン・ファクラー著)という同名の本も刊行されています。

それは、この問題に関心をもつ人が多いことの現れと考えます。

同調圧力ーピアプレッシャーは、なぜこんなにも私たちの社会の根底に深く存在しているのでしょうか。

長年学校にいた私としては、学校は社会の縮図と思える体験を何度もしてきましたが、とりわけ(みんなと同じでなければならない)といった雰囲気をよく感じてきました。それは、単に(校則)で決められる以前に、子どもたちのDNAの中に存在しているように思えてなりません。ですから、(いじめ)問題を扱うときに、(自分と異なる少数派ならば、何をしてもかまわない)といった意識があるのではないかと、絶えず疑ってきました。

そうした社会の弱点を、今回のコロナ禍が明らかにしたように思えてなりません。日本人が都市の封鎖がされなくても(命令)されれなくても、自粛するというのは、決して我々の国民性が優れているからではなく、(自分だけが自粛しなければ、世間から何を言われるか分からない)という不安があるからではないでしょうか。

通学している英語学校で、親しくなったブラジル人の女性と話していたときに、ブラジルでは路上での殺人が多いことに驚いた私の不躾な意見に対して、彼女が(1年に3万人も自殺する国の人から、言われたくない)とピシャッと言われてしまいました。

この頃の(人身事故)の多さを思うにつけ、私たちの社会の息苦しさを考えずにはいられません。

子供たちが、この息苦しさからぬけだすためには、私たち大人は何ができるのでしょうか。