友だちという呪縛を離れて
チャム世代の彼女の相談にのることで、子どもたちの「友だち」についての呪縛の強さに、あらためて驚かされた。
いつの頃からだろうか。新年になると「友だち100人できるかな」というCMをよく目にするようになり、このメロディは誰でも口ずさめるものになっている。しかし、耳にするたびに「酷だよなあ」と思わずにはいられない。大人ならば、こんなことは無理と分かっている。しかし、子どもの中には「たくさん友だちを作らなければいけないんだ」と、真正面から受け止めてしまう子もいる。さらには、入学式の様子を伝えるニュースでは「勉強頑張る」「友だちつくりたい」という子どもたちの生の声を放送している。放送する側も見る側も、「友だちを作ることは、勉強と同じかそれ以上に大切」ととらえる不文律が存在している。ましてや、SNSでフォロワーの数を競ったりする時代である。子どもたちが「友だち」という強力なブランディングに逆らうなどは、無理ではないだろうか。
しかし、いやだからこそ「友だちがなんぼのもんじゃい」というちゃぶ台返しを、子どもたちの前で見せたい。
以前中学3年の女子生徒が「友だち関係を続けるためには、本音を言ってはいけないの?」言ったとき、今回の彼女が「ボッチになるくらいなら奴隷でいい」という態度を示したときから、「この子たちに自己肯定感を育てさせたい」「プライドをもたせたい」と切に願っている。
しかし…このことは、子どもたちの世界のことだけでしょうか。
私たち大人の世界には、無関係と言えるでしょうか…