子どもたちは、話したがっている ④『何か言ったら、それ以上に訊かれて面倒になる』への回答 

いまどきの子どもたちの気持ちや考えていることについて、目下考えています。

保護者や先生から、「子どもたちが話さない」という相談を受けて思うことは、保護者も先生も「子どもの(人の)話を訊くこと

が、上手ではないのでは?」ということです

まず第一に質問が具体的ではないと、考えます。

例えば、「大丈夫?」と尋ねられたら、まず大半の子どもたちは「大丈夫」と答えることでしょう。

(私たちもそうではないでしょうか‥)

では、なぜでしょうか。

その理由として、以下の3点を考えました。

①「言いたいことはあるけれども、どのように話していいかが分からない」

②「ここで何か言ったら、それ以上にいろいろ聞かれて面倒くさくなるのではないか」、

③「どうせ話しても、何ともならない」

 

前回、①「言いたいことはあるけれども、どのように話していいかが分からない」について考えてみました。(前回のブログ参照)

今回は②「ここで何か言ったら、それ以上にいろいろ聞かれて面倒くさくなるのではないか」について考えましょう。

これは、学校ではまさしくあるあるです。

先日も、ある大学生が「大学受験のときに、大変だったのです」と、話してくれました。

彼女は、本人曰く『なんちゃって進学校』(有名大学の合格実績を上げることに学校全体が熱心だけど、実はそんなに大したことは

ない)卒業ですが、2年生の3学期あたりから、先生たちに「どこが希望?」とよく尋ねられたそうです。

「先生たちが、心配してくれるのは有難かったけど、もうちょっとほかっといて」という気持ちだったそうです。

しかし、サークルなどでお世話になった先生がとても親身になってくれるので、「語学なんて勉強したいなぁ」と言った途端に、

家から通える方がいいのか」「私大か公立か」「語学を勉強して、どんなキャリアを目指すのか」等と、立て続けに質問されて、ま

だ何も具体的に考えていなかった彼女は、とても面喰ったそうです。

「今では、先生が自分のことを心配してくれたと有難く思うこともありますが、やはりそのペースに乗せられて、私を残して大学が

決まってしまったという気持はあります。この大学、好きですけど‥」とのことでした。

うーむ、考えさせられますね。

教員だつた身としては、その先生の生徒を思う気持ちも分かりますが、彼女の言わば『取り残され感』も分かります。

結果として、今の自分のあり方に彼女は納得しているようですが、もう一つ『何か言うと、後で面倒になる』といった考え方も身に

いたようです。

どんな生き方をするかは、人それぞれで、『良い生き方・悪い生き方』なんてないわけですが、少し残念な気はします。

 

ここで考えたいことは、その親切な先生』は、彼女の話を聴いているようで、本当に聴いていたのかということです。

人の話を聴くときに、よく傾聴という言葉が使われますが、傾聴とは相手に寄り添うことです。

話している人は、アドバイスむを求めているのではなく、気持ちを分かち合ってほしいと願っているのです。

ですから、何かをしてあげるのではなく、一緒に寄り添ってあげましょう。

すなわち Doing よりも Being を心掛けていきましょう。

 

次回は、③「どうせ話しても、何ともならない」について考えていきましょう。

 

こうした身近な問題をもとに、参加者全員で話し合ったり、ロールプレイでスキの練習をしたりする会【コミュニケーションカフ

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詳しくは、このHPのトピックスをご覧ください。