若者のトリセツ【やさしさが止まらない】⑪
『ユーメッセージ』よりも『アイメッセージ』で話すことによる効果について、さまざまな機会でお話してきました。
しかし、このごろの大学の授業での様子を見ると、そもそも学生たちは『ユーメッセージ』で話しません。
ほとんど全員が初めから『アイメッセージ』で話しているのです。
それも、かなり卑屈な言い方をしています。
どうして大学生は、事例(以前のブログ参照)の場面でも、相手に謝罪を要求せず、妙に物わかりの良い人を演じているのでしょうか。
このことを考えるために、さらに別の 事例 女子大学生からの相談(以前のブログ参照) も紹介しました。
これらを基に、学生たちと意見交換をした結果、以前にお話した思春期の子どもたちの集団であるチャムでの付き合い方も、大学生にな
ってからの付き合い方も『相手にとって耳触りの悪いこと』は言おうとしないという共通点を見つけました。
こうした共通点は、なぜでしょうか?
『相手を傷つけるのでは』という心配もあるでしょうが、それよりも『相手に嫌われて、私自身が傷つく』不安が大きいのではないかと
思えてなりません。。相手を思う優しさではなく、自分が傷つかないための保険である『優しさ』で、相手と接していると考えます。
どうして、ここまで周囲に対して防衛しないと、付き合うことができないのでしょうか。
みなさんは、どのように思われますか?
① 自立した個人どうしの対等な関係が築きにくい
② 自分に自信がないので、周囲の影響を受けやすい
のではないかと、考えています。
前回、①自立した個人同士の対等な関係が築きにくい について、話し始めたところです。
文科省が『特別活動の指導要領』の変更の柱の一つとして、【人間関係形成】を取り上げたように、子どもたちの【人間関係形成】の弱
体化は、大きな課題と考えます。
その結果、学級の中で一部の子どもたちを中心として、その周囲に多くの子が集まり、集団となりますが、そのメンバー間での力関係
は、もちろん対等ではありません。
そのため、この不平等から、『チャム』や、ひいては『カースト』を生じているのではないかと考えます。
しかし、『自立した個人同士の対等な関係が築きにくい』というのば、子どもたちだけのことではないですよね。
私たちの社会自体が、そうしたものを好まないのでは?と考えます。
例えば、学校でも会社でも、会議において本当に意見を戦わせて、一つのプランを作り上げているでしょうか?
私たちの社会は、提案された意見に対して、異論を唱えることに対して、ネガティブな反応をしませんか?
議論するよりも、事前に根回し等で、一つの意見に集約することを好みませんか?
(過疎の村などで、議員選挙や首長選挙で立候補者が少なく、無投票になることがよく報道されていますよね。そうした状態を、『民主
主義の危機』と捉えるよりは、『地域の人間関係がいびつにならなくて良かった』と捉えていないでしょうか)
そうした風潮が一般的であるかぎりは、自立した個人同士の対等な関係が築きにくいのは、当然ではないでしょうか。
そうした社会で育つ子どもたちが、大人と同じ志向になるのは、当然のことではないでしょうか。
よろしければ、みなさんのご意見をお聞かせください。
次回、②について考えます。
ハピネスでは、こうした身近な問題をもとに、参加者全員で話し合ったり、ロールプレイでスキルの練習をしたりする会【コミュニケー
ションカフェ】を開いています。
リアルでもOnlineでも開催しています。
詳しくは、このHPのトピックスをご覧ください。