子どもたちは、話したがっている ② 「大丈夫?」って聞いて、どうする気?

(果蔬図 京都嵐山、本田美術館の「若冲展」より)

前回から、いまどきの子どもたちの気持ちや考えていることについて、お話始めたところです。

今回も、よろしくお付き合いください。

 

スクールカウンセラーとして多くの子どもたちや保護者、先生と接していますが、保護者から「うちの子って、「学校で何かあっ

た?」と訊いても、何も言いません。申し訳ないですけど、何も言わないかと思います」と言われることがあります。

また、担任の先生から、「今度の教育相談へ向けて、子どもたちに尋ねてみたのですが、みんな話すこともないと言うので、困って

います」と、言われるので「どんなふうに尋ねられましたか?」と訊くと、「何か心配なことはあるの?大丈夫?と訊きました」と

返答が返ってきました。

うーむ‥‥‥

それでは、子どもは何も話さないでしょう。

 

ここでこの保護者が、この先生が話したことの何がいけなかったのでしょうか」と、前回質問しましたが、みなさんのお答えは

 

そうですね、「いけない」は言い過ぎだったかもしれません。

「子どもの(人の)話を訊くことが、上手ではないですね」といったところでしょうか。

では、何が下手なのでしょうか。

それは、まず第一に質問が具体的ではないということです。

今、多くのみなさんは自分を「保護者」や「先生」の立場に置いていませんか?

立場を入れ替えて、子どもの側に立って、この質問に応えてください。

「学校(職場)で何かあった?」と尋ねられて、「うん、あったの。実はね‥」と話されますか?

もちろん、どうしても言いたいことがあったら、「待ってました」とばかりに口を開くかもしれませんが、「ここで、何か言うと大

事になるんじゃないか?」と不安に思う相手だったら、なおさら十中八九「ううん、べつに…」とやり過ごしませんか?

また、同様に「大丈夫?」と尋ねられて、大半の方は「うん、大丈夫」と答えませんか?

例え大丈夫でないにしても、そこで「大丈夫ではない」と答えている場面って、なかなか目にしませんよね。

みなさんも、私もきっとそうだと思います。

 

では、なぜでしょうか。

その理由は人それぞれかと思いますが、①「言いたいことはあるけれども、どのように話していいかが分からない」、②「ここで何

か言ったら、それ以上にいろいろ聞かれて面倒くさくなるのではないか」、③「どうせ話しても、何ともならない」等が考えられま

す。

 

そこで、まず①「言いたいことはあるけれども、どのように話していいかが分からない」について考えてみましょう。

例えば、結婚式のスピーチを頼まれた時に、みなさんはどうされますか?

「新郎は誠実な人で、思いやり深く、温かな人で‥」と、どんなに誉め言葉を連ねても、新郎の姿は見えてきませんよね。

スピーチを聞いている人たちは、さぞかし退屈なことでしょう。

それに対して「新郎とは高校のときに、同じサッカー部に所属していたのですが、大きな大会でシュートをはずした私に対して新郎

は‥」と話すと、列席のみなさんは興味をもってくれるのではないでしょうか。

 

その違いはなんでしょうか

話が抽象的か具体的かの違いではないでしょうか?

子ども(大人でも同じ)に話しかけるときに、何かを尋ねたいときに「何かあった?」「大丈夫?」では、相手は何を言えばよいか

が分からないのだと思います。

確かに、そのように尋ねられて「実は‥」と話せる子ども(大人)もょうが、全ての子ども(大人)がそんなにいつもいつも意識高

く生きているわけではないでしょうう。

そうならば、「昨日、○○の委員会の後で、何か探していたみたいだけど、見つかったの?」「この前、レクの予定考えてみるって

言っていたけど、場所のことで困っていない?」等と、具体的に尋ねてみたらどうでしょうか?

『神は細部に宿る』という言葉がありますが、そうした些細な日常の言葉がけが、子ども(大人)の心を形作っているのではな

いかと考えます。

一度、取り組んてみてください。

②以降については、次回一緒に考えましょう。

 

こうした身近な問題をもとに、参加者全員で話し合ったり、ロールプレイでスキの練習をしたりする会【コミュニケーションカフ

ェ】を開いています。

リアルでもOnlineでも開催しています。

詳しくは、このHPのトピックスをご覧ください。