【子どもの心 若者の心 そして‥】16 『面倒な人』って思われたくない
このところ、「相手との関係性が深まると、何でも言える関係になる」といった思い込み(と考えます)について、考えています。(詳細については、以前のブログをご覧ください)
そんな折、SNSで『褒められたくない若者たち』という記事を目にしました。
今の若者は、『褒められたくない、目立ちたくない、埋もれていたい』との考えです。
実際、大学生と関わる中で、こうした思い・感情を感じることがあります。
新学期が始まりました。
教職科目の一つである『生徒指導』の授業の、初回の振り返り(各学生が考えや質問を記述して提出)の中で、興味深い記述がありました。(受講生たちは、将来必ず教員になると考えている学生と、将来の資格としてとっておく学生が混在しています)
○今まで当たり障りのないように生きようと学んできたし、自分もそうしていた。しかし演習2(配慮を必要とする生徒と他の生徒とのトラブル後の指導についての発問)で、私は「授業をして伝えれば分かってくれる」と思ったが、「本人にも注意をしつつ、得意不得意があることを伝える」という意見を聞き、自分がその子に対しても、他の子に対しても配慮が足りないことに気が付いた。それに加えて、その授業をすれば「私は伝えたからな」とトラブルを解決した気になる未来が見えた。グループワークの良さってこういうことだったのですね。 という感想です。
内容は、学級内の配慮を要する生徒ばかりに注意を向けていると(それはそれで大切なのですが)、他の生徒がその生徒にも教師にも反発してし
まったので、全員を大切にするにはどうしたら良いかということを考える課題についての記述でした。
なかなかよく考えていると思うものの、私が問題と思ったのは、その一行目です。
今まで当たり障りのないように生きようと学んできたし、自分もそうしていた。
どうでしょうか、みなさん。
これを読んで、私は、なかなか衝撃を受けました。
『当たり障りのない生き方』って、まさしく『褒められたくない、目立ちたくない、埋もれていたい』という生き方そのものですよね。
『褒められたくない若者たち』という話題のど真ん中ストライクの事例・エビデンスです。
もちろん、どのように考えようとも、それは個人の自由です。
しかし、『当たり障りのないように学んできた』の、『学んできた』となると話は別です。
すなわち、学校が教員が教育が『当たり障りのないように生きる』と、教えてきたということではないでしょうか?
まずは『当たり障りのないように生きる』とは、どのようなことか考えてみましょう。
具現化してみましょう。
こんな事例を考えてみました。
仲良し(と、自分たちも周囲も思っている)4人のグループ(AさんBさんCさんDさん)のメンバーで、「GW、どうする?」という話になりました。()内は、心の声です。
A「どこかへ遊びに行かない?ディズニーとかいいけど、ちょっとお金ないから、手近なところで」
B「いいね。行こう行こうよ(水族館へ行ってみたいなぁ)」
C「どこにする?例えば、ジブリパークとか?予約間に合うかなぁ?」
A「いいねぇ。Dさんは、どう?」
D「‥うん、どこでもいいよ(このところバイト休んでいて、店長からGWは出てよねと言われてるからまずいなぁ)」
A「あれっ、Dさん都合悪い?」
D「そんなことないよ(私だけパスなんてできないじゃん)」
C「ジブリの他にどこかある?」
B「今、思いつかないから、また今度考えてみない?(水族館へ行きたいけど、なんかこの雰囲気はジブリできまりそうかも)」
A「うん‥またって言うときっと忘れちゃうかも‥予約とかもあるから、今決めたいけど‥」
C「そうだよね。私はジブリでいいけど‥みんなは、どこがいい?」
A「私もジブリって、行ってみたいし‥他にあったら言って」
D「(この流れに反対して、めんどくさいって思われたくないし‥最悪、ドタキャンすればいいし‥)ジブリでいいよ」
B「(えっー、Dさんは反対だとおもっていたのに‥水族館は無理かぁ)ジブリでいいじゃん」
A「じゃあ、ジブリの予約するね」
となりました。
たかが一日遊びにいくだけのことです。
また、ジブリでも水族館でもどちらでも行ってみたら、結構楽しいとも思います。
でも、何だかなぁとも思いませんか。
ここで、「その関係って本当に友だちなの?」等とは言及しません。
時代によって、状況によって『友だち』の定義は変わっていくものと思うからです。
しかし、昭和の人間である私からすれば「遊びに行くところ一つ決めるだけで、こんなに気を遣って大変ねえ」と、心配になります。
疲れるだろうなぁとも思います。
ただ、このように「周囲に気を遣い、空気をよみ、『面倒な人』と思われないようにするのが、今の若者たちのリアルな姿だなぁ」と考えます。
これこそが、当たり障りのない生き方そのものではないでしょうか。
これで、『当たり障りのないように生きる』姿について、共通理解していただけたかと思います。
そこで、次回は『教育の何が、子どもたち若者たちに、こうしたことを教えてきたか』について、考えていきます。
次回もよろしくお付き合いください。
こうした身近な問題をもとに、参加者全員で話し合ったり、ロールプレイでスキルの練習をしたりする会【コミュニケーションカフェ】を開いて
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