【友だちという呪縛~ボッチ上等~】23 自己肯定感はバラ色か?
現在、私はスクールカウンセラーとして勤務しています。
中学校の教員として、また大学の非常勤講師として、若い世代と長い間関わり合ってきましたが、今目の前にいる子どもたちの抱えている問題は、
決して【子ども】だけの問題ではなく、私たちの社会が抱える問題そのものではないでしょうか。
そこで、『子どもたちの相談』を切り口として、私たちを息苦しくさせている『何か』に迫っていきたいと考えます。
「私を助けて」と訴えることができない子どもたちの背景・環境について考える。
子どもたちの状況1 思春期の発達段階について (詳細は以前のブログ参照)
① 身体の急激な変化
② 心の急激な変化
③ 他者との関係性の変化
子どもたちの状況2 対人関係形成力の低下 (詳細は以前のブログ参照)
① 狭い閉じた小集団の一員となる
② 小集団の中で、同調的な関係が優先される
そして、前回からもう一つの視点で考えています。
子どもたちの状況3 子どもたちを取り巻く環境の変化
① 日本社会のピアプレッシャー
このところ、今を生きている私たちの『生きづらさ』の表れについて、お話してきました。
それとともに、テレビドラマの中で描かれている人物像や、食事の写真撮影にアタフタしている友人の姿から、その心の根っこにある『承認欲
求』についても、考えてきました。
この『承認欲求』というものは、誰の心にも(あなたにも、私にも)あるものでしょうし、現在に限らずいつの時代にもあったものと思いま
す。
しかし、現代はそれがとてもとても過度になっているのではないでしょうか。
自分のあまりにも強い『承認欲求』で、自分自身が苦しくなっている方も多いのではないでしょうか。
自分のあまりにも強い『承認欲求』で、『生きづらさ』を感じている方も多いのではないでしょうか。
「なぜ、そんなことになっているの?」「どうすれば、楽に生きられるの?」について、一緒に考えていきましょう。
② 自己肯定感は諸刃の剣?
このタイトルを見て、「あれっ、今までの話と矛盾していない?」と思われる方がいらっしゃるかと思います。
そうですよね。
今まで、「どうせ私なんて‥とか、私は何をやってもダメだから‥なんて、言わないでくださいね」とお話してきたのに、これは、明らかに違い
ますよね。
でも、このごろこうしたことを強く感じる場面を、よく見かけるのです。
例えば、少し前に話題になった『回転寿司店で、醬油の容器を舐めて、その様子を投稿し、激しい非難に遭う』といった事件を覚えていますか?
あの種の事件を知り、大半の人は「どうしてあんなことをするのだろう」と思いますよね。
もちろん、そうしたネガティブな目立つ投稿で、多くの金銭を得るということもあるのでしょうが、それとは別に「目立ちたい」という要求を満
足させるという意図も十分あったのではないかと考えます。
今、社会では『自己肯定感』について、よく語られています。
そして、それは『自己肯定感が高いのが良い』といった主張が中心となっているかと思います。
でも、本当に『自己肯定感が低い』ことは、いけないのでしょうか?
誰でもみんな、『自己肯定感が高く』なければならないのでしょうか?
この『自己肯定感』について、マズローは「自分の尊厳が低下させられることは耐え難いこと」と言っています。
一方、ずっと以前にお話したかと思いますが、『青少年の死亡原因の一位は自死』という調査結果があります。
これらの間には、強い関係性があるのではないかと考えます。
例えば、学校でイジメられている子は、自分の尊厳が傷つけられたと考えます。
そうした場合に、その子は周囲の人々に、そのことを話して助けてもらおうという気持にはなかなかなりません。
それよりも、むしろその痛みを一人で抱えて、死を選んでしまうのではないでしょうか。
そう考えると、どんな場面でも『自己肯定感が高いことは素晴らしい』とは、一概に言えないのではないでしょうか?
みなさんは、あなたはどのように思われますか?
このシリーズも、次回この『自己肯定感の功罪』について考えることで、一区切りにしたいと考えます。
あとしばらく、よろしくお付き合いください。
こうした身近な問題をもとに、参加者全員で話し合ったり、ロールプレイでスキルの練習をしたりする会【コミュニケーションカフェ】を開いて
います。
リアルでもOnlineでも開催しています。
詳しくは、このHPのトピックスをご覧ください。