【友だちという呪縛~ボッチ上等~】22 承認欲求は私自身に向かうナイフ
現在、私はスクールカウンセラーとして勤務しています。
中学校の教員として、また大学の非常勤講師として、若い世代と長い間関わり合ってきましたが、今目の前にいる子どもたちの抱えている問題は、
決して【子ども】だけの問題ではなく、私たちの社会が抱える問題そのものではないでしょうか。
そこで、『子どもたちの相談』を切り口として、私たちを息苦しくさせている『何か』に迫っていきたいと考えます。
「私を助けて」と訴えることができない子どもたちの背景・環境について考える。
子どもたちの状況1 思春期の発達段階について (詳細は以前のブログ参照)
① 身体の急激な変化
② 心の急激な変化
③ 他者との関係性の変化
子どもたちの状況2 対人関係形成力の低下 (詳細は以前のブログ参照)
① 狭い閉じた小集団の一員となる
② 小集団の中で、同調的な関係が優先される
そして、前回からもう一つの視点で考えています。
子どもたちの状況3 子どもたちを取り巻く環境の変化
① 日本社会のピアプレッシャー
私たち日本人が、そのDNAに刷り込まれているかのような、周囲と同じことを要求される傾向について、このところ考えています。(以前のブ
ログも覧ください)
今回は、ここから。
そして、前回は「空気よまないと言われることが怖くて、みんなと違うことなんてしてこなかった。でも、就活を前にして『あなたは、何をした
いの?』と訊かれても、答えられない。私ってどんな人?何をしたいのだろう?」と悩む女子学生の姿を紹介しました。
みなさん、どのように思われましたか?
しかし、この悩む姿は、彼女だけのものではありませんよね。
これは、多くの若者、いえ若者に限らず多くの日本人の姿であり、ひょっとしたら私もあなた含まれているのではないでしょうか。
今を生きている私たちの『生きづらさ』の表れではないでしょうか。
前回、「さぁ、このことへの対処法について、みなさん考えてみてください。」とお願いしました。
いかがですか?
まず大前提として、こうした類の問題について考えるときに心したいことは、『正解は一つではない』ということです。
その上で、私はこんなことを考えました。
先日、私は友人とランチを食べたときに、目の前の食事をなかなか食べることができなくて、辟易としました。
それは、彼女が出てきた食事の写真を延々と撮り続けているからです。
「私は写真いいからさぁ。先に食べるね」と言ったところ、「待って、そっちの料理を借景に使うから‥」と言われて、唖然としました。
心の中では、「こんなところで借景なんて言うなよな」と毒づきながら、待っていました。
でも、待ったことは無駄ではありませんでした。
その間に、いろいろ考えることができたからです。
「なぜ、写真を撮ることにこんなにこだわるのだろう?」→「なぜ、そんなにアップしたいのだろう?」→「なぜ、そんなに認められたいのだろ
う?」と、ネットサーフィンならぬ思考サーフィンしていました。
ちょっと古い話になりますが、一昨年のNHK大河ドラマ「麒麟が来る」って、覚えていらっしゃいますか?
大河ドラマを、私はたいてい見ていますが、このドラマでは人物設定にとりわけ深く関心を持ちました。
もちろん主役である明智光秀が、従来とは異なりさわやかな思慮深く心優しい人という描き方もそうですが、何よりも織田信長の人物設定に心惹
かれました。
従来の天才・カリスマ・残虐性‥とは違い、きわめて『承認欲求』が強い人として描かれていたのです。
「ああ、今の時代だなぁ」と思いました。
こんなことを、なかなか食べられないランチを前にして考えました。
そうなんですよね。
大河の中の人物像も、私の目の前で写真撮影にアタフタしている友人も、その心の根っこにあるものは、すなわち『承認欲求』ですよね。
もちろん、この『承認欲求』は誰の心にも(あなたにも、私にも)あるものでしょうし、現在に限らずいつの時代にもあったものと思います。
しかし、現代はそれがとてもとても過度になっているのではないでしょうか。
自分のあまりにも強い『承認欲求』で、自分自身が苦しくなっている方も多いのではないでしょうか。
「なぜ、そんなことになっているの?」「どうすれば、楽に生きられるの?」について、一緒に考えていきましょう。
こうした身近な問題をもとに、参加者全員で話し合ったり、ロールプレイでスキルの練習をしたりする会【コミュニケーションカフェ】を開いて
います。
リアルでもOnlineでも開催しています。
詳しくは、このHPのトピックスをご覧ください。